政治結社八紘会

東京裁判 

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東京裁判の見直し

東京裁判を見直すことで大東亜戦争が見えて来る
遡るは日清・日露戦争・満州事変を認識すれば自衛か侵略かは自ずと解る 
自存自衛の為に米・英・蘭との開戦を決意し皇國の國是は八紘為宇とする肇國の大精神に基づき大東亜での欧米の植民地支配の打倒を目指し我が國の歴史において最大の國難であった独立と解放の聖戦を侵略戦争と強調する太平洋戦争の呼称は使うべきではない
歴史を再確認する事で乃木希典陸軍大将や東條英機陸軍大将の評価が変わりミッドウェー海戦で先帝陛下からお預かりした主力空母6隻のうち4隻が出撃して4隻とも沈めごく普通に戦っていれば勝っていた戦に負けた山本五十六海軍大将の評価も当然変わる
八紘為宇も侵略のスローガンだと錯覚しているが八紘為宇が侵略主義とは無縁の概念だった事は東京裁判においても認められている
八紘為宇や五族協和の理想がユダヤ人を満州國に保護し非人道的なドイツの國策を否定するのは日本がドイツの属國でなく満州國も日本の属國ではないからである
亜細亜や満州國において日本は何をしようとしていたかは日本人の心意気を理解しなければならない
歴史を否定するのではなく日本人の誇りを取り戻せば中共や南北朝鮮の靖國問題が内政干渉であり理不尽極まりない事がわかる
猿芝居の東京裁判を見直し間違いを正さなければならない

「大東亜戦争」とはGHQが公文書で使用禁止した為に「太平洋戦争」という語句を用いた
「大東亜戦争」は日本において閣議で決定した正式な呼称であり戦後も日本政府が公式に否定した事実はない
日本が主権を回復した現在は「大東亜戦争」が正式な呼称であり侵略戦争を強調する「太平洋戦争」の呼称は使うべきではない
日本は征服されたのでもなく合併されたのでもなく滅亡させられたのでもなく主権は存在しているのである
終戦の詔書の中で「日本人と共に戦い協力して戦争のために死んでいった台湾人、朝鮮人、一部の支那人の人達、日本が亜細亜の盟主になってくれることを信じて、立ち上がってくれた一人ひとりのことが思われ、苦しみや悲しみを覚える。しかし、それでも、苦しみや悲しみに耐えて日本は終戦に足を踏み出さねばならない」
先帝陛下はポツダム宣言を戦ったことによって勝ち取ったものであると認識され日本國を再建しようとお考えになられて終戦を決意されたのです
昭和20815日は我が國の歴史において最大の國難であった大東亜戦争が終結を迎えた終戦記念日である
大東亜戦争とは亜細亜に大東亜共栄圏を建設し欧米の植民地支配に代わって共存共栄の新秩序を樹立する為の世界史上稀に見る戦いといえる
戦争終結の手段であるポツダム宣言の受諾によって日本は無条件降伏とされたが日本軍の無条件降伏は規定されているものの日本政府や日本國民の降伏は規定されていない
フランクリン・デラノ・ルーズベルト合衆國大統領が昭和20年(1943)モロッコのカサブランカで日本の無条件降伏といい出した
「無条件降伏というのは、日本やドイツやイタリアを徹底的に打ちのめすことだ。物理的に打ちのめすのみならず、その國の力を支えている思想や哲学を徹底的に破砕する事である」
これはルーズベルトのカサブランカ発言といって歴史上有名な言葉
「日本人を二度と立てない民族にする」それは精神的武装解除でありウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
米軍の占領マニュアルである
「初期対日方針」には「占領とは敵対國に対する軍事行動の継続である」と書いてある
占領は日本を精神的にたたきのめすためではあるが日本は精神的にも完全に破砕されたのか?むしろ日本は強かに戦った
その戦いの根拠となったのが実はポツダム宣言である
米国は日本を無条件降伏させるといっていたがポツダム宣言ではそれを修正している
日本の外務省条約局はこの宣言文の一言一句を見逃さなかった
例えば第十三項に「吾等は日本國政府が直ちに全日本國軍隊の無条件降伏を宣言し」と書いてあるが土壇場になって日本に出してきた降伏勧告では「日本國軍隊」の無条件降伏になった
軍隊が無条件降伏すれば國家は無条件降伏しなくていい
第十項には「日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障擬を除去すべし」と書いてある
ルーズベルトの無条件降伏の定義では日本の精神を全部潰すということだったがこのポツダム宣言では修正している
このポツダム宣言を見た時に日本國政府はこれなら降伏できると考えた
日本國の無条件降伏だといわれたら日本は本土決戦で一億玉砕であった
昭和20年(1945812日に朝香宮鳩彦王に「講和は賛成だが國體護持できなければ戦争は継続するのか」の質問に先帝陛下は「もちろんだ」と答えられたという
では何故米国は修正してポツダム宣言を出して来たのか?
それはやはり沖縄決戦
沖縄はすぐに潰すことが出来ると米国は思っていたが日本軍と沖縄県民が一致して激烈な抵抗を行ったために米兵は一万五千人が戦死
スチムソン陸軍長官は「これはもう破滅だ。沖縄でこんなに犠牲を出したのでは、本土決戦なんて絶対にやれない。米兵だって何百万人も死ぬ。そんなことを私は命令できない」
ジョセフ・グルー國務長官が「であるならば、無条件降伏ではなく、皇室制度を残すのは可能だということを保証したらどうか」
そこからポツダム宣言の案出が始まる
ポツダム宣言には沖縄で死んで行った六万五千の日本兵ひめゆり部隊や鉄血勤皇隊の人達の血が流れた事やあるいは特攻で散華した英霊達の死に物狂いの抵抗があったからこそ修正を余儀なくされた
先人達の命を懸けた努力の結晶がある事が読み取れないような歴史学なんてデタラメである
先帝陛下は本土決戦論者の主張を抑えられこのポツダム宣言を受け容れ日本國を再建しようとお考えになられた 
終戦の詔書の中で先帝陛下は「五内為ニ裂ク」という御言葉を使われました
地獄の業火の中に立ってなお死ぬ事のできぬほどの苦しいという意味であるが戦死した者その遺族のこと被災者のことに心を痛められたのであった
先帝陛下は自分の身はどうなってもよい占領軍がやって来て自分を絞首刑にするかもしれないがそれでもいいのだという御決意をなされた
「五内為ニ裂ク」というご心痛の中でこのポツダム宣言は信頼でき日本人が戦ったことによって勝ち取ったものであると認識されて終戦を決意されたのです
この大東亜戦争の歴史を学ぶことにより日本人としての誇りを覚える
無条件降伏というのは連合國が日本に対して本土決戦を避けるため日本國の無条件降伏を日本軍隊だけの無条件降伏にしたものである

現にポツダム宣言の第13項には「吾等ハ日本國政府ガ直ニ全日本國軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ」と明記している
ドイツの如く占領軍によって政府も軍隊もことごとく壊滅されてしまったのとは違う
ポツダム宣言の第5項には連合國自身も以下の条件はこれを守るといいいわば一種の条件付き申し込みであって日本はこの条件をのんでポツダム宣言を受諾したのである

連合軍が本土決戦を回避したのは日本を完全に敗北させる事は不可能と判断したからで連合軍がドイツやイタリア本土へ侵攻したにも拘わらず日本へ本土侵攻をしなかったのは連合軍が完全勝利を放棄した事を意味し日本の敗北が最後の一線でとどまったという事である
ユダヤ人を國策として抹殺しようとしたドイツの無法國家と記紀が描く高い理想をもって始まった日本國とはまったく違う
裁判でもドイツは「人道に対する罪」犯罪として裁かれた
日本は「平和に対する罪」戦争は國家しか行えないという事実で裁かれた
 

負けたドイツとは違い日本は大東亜戦争で敗北したのではなく終戦である


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